◇◆ 時(とき)-2 ◆◇


今回は他人にとっての「時間」について
考えてみましょう。
前回も書いたように私個人的に「時間」とは
私達がこの世に生を受けてから、皆に平等にある
無償の財産であると感じています。
そして誰も長さを知ることが出来ず
巻き戻しも止めることも
出来ないものでもあります。
自分の時間と同時に私達のまわりの
友人や家族や近所、仕事の同僚にも
また目に見えて存在している物や植物にも
それぞれに「時間」が存在しています。
例えば、一緒に過ごすということは
仕事をする時は同僚の「時間」と
自分の「時間」を同時にそれぞれの財産を
消費し合っているようなもの。
また家族や友人と過ごす時も
お互いの「時間」を費やしています。
そんな他人の「時間」について
考えたことがありますか?
自分のワガママに付き合ってもらったり
お互いに辛い時間も楽しい時間も
過ごしてくれている身近な人
また出勤途中の満員電車やすれ違う
知らない人達もその瞬間、自分と
それぞれお互いの時間を過ごします。
自分の時間が「短い」「足りない」と
感じることはあっても
自分以外の人がいる場所でも
常に利己的に物事を考えていては
他人の時間を感じたり考えたりする機会は
ないのかもしれません。
そんな自己中心的な考えでいると
家族がしてくれている日常の家事や世話や
職場の同僚が協力してくれていること
また世の中の仕組みすら「当たり前」に考え
終いにはそこにあぐらをかいてしまいます。
そんな方も、自分のために時間を費やしている
家族や友人、同僚などの「時間」という
人生の財産について考えてみましょう。
ヨガではAsteya アステヤ(不盗)という教えがあります。
盗まない、ということ。
それは実際に何か物を盗むだけではなく
人のアイデアや意見、言葉を自分のものとしたり
遅刻やダラダラと先延ばしにするなどの人の
「時間」を盗むこともいけないと言うもの。
自分は利己的に誰かと過ごしていないか
一緒に過ごす相手の時間を盗んでいないか
もう一度、考えてみましょう。
そして相手の「時間」という無償の財産を
自分のために使ってくれている周りの人達へ
感謝の気持ちを持ちましょう。