「源氏物語」と心理学~「春」の季節に寄せて~

東京は「春一番」も吹き、ようやく温かな「」の季節が訪れようとしていますブーケ2


私は毎年この、桜コスモスの咲く季節になると、何故かふと連想してしまうのが『源氏物語』なのです。


『源氏物語』は今から約千年以上前、平安時代中期に、一条天皇の中宮彰子に仕えた紫式部(藤式部)によって描かれた、有名な女流文学作品です。


そこでは「光源氏」と呼ばれた貴公子と、その光源氏をめぐる数多くの女性たちの恋愛模様が描かれているばかりでなく、「女性の生き方とは何か」「本当の幸せとは何なのだろうか?といった、現代に通じる多くの問題提起もなされていますひらめき電球


光源氏を主人公にした、美しくも艶やかな平安絵巻にも、もちろん私達は目を奪われますが、それ以上に、その根底に流れる真理(心理)に対して、強い共感を持てるからこそ、時を超えても、多くの人々に読み継がれているのではないでしょうかはてなマーク



さくら



………話が少し逸れてしまいましたが、何故私が桜の咲くこの季節になると、『源氏物語』を思い起こしてしまうかと言いますと、どうしても『源氏物語』のヒロインの一人・「紫の上」を想起してしまうからなのですチューリップピンク


紫の上(幼少時は「紫の君」)は、光源氏の妻の一人であり、「六条院」と呼ばれた光源氏の住居の中で、「春の館」を与えられたため、「春の御方」とも呼称されました。

(六条院には、「春の館」の他に、「夏の館」「秋の館」「冬の館」があります目


そして、数多くいる夫人の中で、何故紫の上に「春の館」が与えられたのかと言うと、紫の上自身が四季の中で、一番「春」を愛したということに加え、光源氏の中で、「春=桜=紫の上」という強いイメージが出来ていたことも、大きく影響していたかと思います。



では何故、光源氏にそのようなイメージが出来てしまったのでしょう?



それには、光源氏(当時数えで17歳)と、紫の君(数えで10歳)の出逢いが、京都北山の桜の舞う季節であったことが関係しているように思えます。


当時、17歳の光源氏は、義母(父帝の後妻)の藤壺の宮へのタブーとも言える恋心に苦しみ、

その苦しみを多くの女人(恋人)を作ることで、何とか打ち消そうとしていました。


そんな中で出遭った女性の中に、「夕顔」と呼ばれる、儚げなイメージの美女がいましたが、光源氏の他の恋人(六条御息所)の生霊にとり殺されてしまうのです。


そして、その心痛を癒すために訪れた雛の地(今で言う“田舎”)・北山で、将来「紫の上」と呼ばれることになる、10歳の美少女・紫の君と出会うのでした。


そして奇しくも、それは桜の花が満開の季節であり、光源氏は紫の君を、「これは桜の精だろうか?とも思うのでした。


そういった一連のエピソードは、源氏物語巻の一にある『若紫』の巻で読むことが出来ます。



そこに描かれている10歳の紫の君は、溌溂とし、まさに「天衣無縫」と言うべき、美し伸びやかさで描かれていますし、光源氏も、そのような紫の君だからこそ、惹かれたのでしょう。


さらに、紫の君が、光源氏の叶わぬ想い人・藤壺の宮の血縁の姫であり(藤壺の姪にあたります)、藤壺の宮の面影を感じさせたことが、光源氏にとって、「将来何としても、この姫を妻に迎えたい」と心に決めさせた最大の理由でした。


そしてその後、光源氏は、半ば人さらいに近い形で、紫の君を二条院(←当時の光源氏の住居)に迎え、紫の君が14歳になるまでの約4年間、光源氏自身の手で「藤壺の宮のような理想の女性になるように」と育てられるのです。


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よって、このような北山での運命的な出逢いは、紫の上を「桜」のイメージと結び付ける大きな切っ掛けとなったのは、間違いありません。


しかし、二条院に引き取り、紫の君を教育し、後年六条院の春の館を彼女に与えるまでの間(勿論、その後も)、読んでいる一読者の私からすると、光源氏が「春」や「桜」のイメージを紫の上にお仕着せている印象もぬぐえないのも、一つの見方でしょう。



例えば、源氏物語・『初音』の巻で、それぞれの女人が新年(お正月)に着る衣装を、光源氏自身が見立てる場面があるのですが、そこで紫の上のために選んだ衣装は


紅梅のいと紋浮きたる葡萄染めの御小袿、今様色のいとすぐれたるとはかの御料・・」


という「春」を彷彿させる色合いのものでした。



その後も、東宮(=皇太子)に嫁ぐ、光源氏の娘に持たせる「お香」を、それぞれの女人に頼むというシーン(『梅が枝』)がありますが、その時、紫の上が用意(調合)したお香の中で、一番の高評価を得たのが、「梅花の香」でした。



そして、光源氏の息子・夕霧が、初めて義母にあたる紫の上を垣間見た時に、紫の上の対して抱いた印象は、「何と美しい『樺桜の君』のであることか…」でした。



当時、女人の美しさを表現するのに、「春の花」が必須であったということは決してありませんでした。実際に、源氏物語の中でもも、夏の花や、秋の紅葉で、女性を褒め讃えている場面はいくつも出ています。


しかし、紫の上に関して言えば、彼女にまつわる物事、例え等は、圧倒的に「春」に関連するものが多いと言えます。


ここまでくると、紫の上が春を好んだ故なのか、光源氏が、紫の上を「そのようにあれ」と育て、彼女の身の回りの一切を「春」でプロデュースしたが故なのか……?


「卵が先か、鶏が先か」理論になってきてしまうのです。



そして後年、晩年の紫の上も、それに近い嘆きを抱くようになってくるのです……。



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今回は「さわり」だけを書くつもりだったのですが、ついつい筆が乗って、徒然なるままに書いてしまいました。駄文をお許し下さいしょぼんあせる


もし、この『源氏物語と心理学』、ご講評頂けるようでしたら、ぜひ続けて書いていきたいと思っていますビックリマーク

なお、この文章は、古典文学を浅~~く専攻したこともある、「本業:臨床心理士」によるものですので、あくまでも「私見」であることをご了承頂き、温かい目で読んで頂けたら幸いですニコニコ音譜



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櫻