スイスから(18) ~境界線~

みなさん、こんにちは。

日本もすっかり秋模様になったでしょうか?


秋は風が冷たくなってきて、

自分の身体の輪郭を

はっきり感じることはありませんか?

とある品川区の心療内科スタッフブログ

今日のテーマは『境界線』としました。

身体の境界だけではなくて、

心理的な境界線について、

今回は取り上げようと思います。


私たちは意識では、

自分と他人は、

違う存在、

違う考え方をする、

違う感じ方をする、

違う感情を持つ、


と分かっていても、


なかなか、本当に、それらを

明確に区別することは、

実は、

容易ではありません。


あるいは、みなさんは、どう感じられるでしょうか?



もちろん、

自他を明確に区別しきれないこと自体は、

ポジティブな側面もあります。


たとえば、

“お母さん” が 赤ちゃん の気持ちを

感じ取ってあげられるのは、

この、自他の境界を曖昧にすることができるから、

ということも、あります。

(念のため、“お母さん”というのは、

 生物学上の母親のみならず、 

 あえて言えば、保護者・養育者と

 記してもよいですし、

 あるいは、そういう関係性になくても、

 他者の気持ちを感じ取ることができるのは、

 この、境界の曖昧さ、に因る(よる)部分も

 あります。

 ただ、それ以外の理解の方法もあるし、

 それも重要、ということを以下に記します)


一方、

区別できないゆえの混乱、

感情的な不快感、などを感じてしまうことがあるのも、

人間の性(さが)です。


上記の例を用いて逆に言うと、

赤ちゃんと“お母さん”は

自他未分化でよいけれども、

似たような関係が、

たとえば、母子ではない関係で

必要以上に生じてしまうと、


Aさんは、自分で考え自分で感じ、

自分の力で困難を乗り越えることができるのに、

Bさんが、Aさんのことを過剰に心配して、

あれこれと心配し、先に回って何かをしてあげたり

してしまう、

(Bさんがお母さんで、Aさんが赤ちゃんかのよう)


といったことになります。



加えて、

人の世話をしているつもり、

人のことを心配しているつもり、

あるいは、人のせいにしている場合、


実は、

「人の世話をする前に、もっと自分の世話を」

「人の心配より、自分の心配を」

「人のせいにする前に、自分を振り返る」


といったことが、

必要であることを、

感じたりすることはありませんか?



自他を区別しているつもりで、

実は、区別できていない、

自分と他人が同じようん感じると無意識に思い込んでいる、

相手の心配しているつもりで、

実は、その人の方がしっかりしていて、

自分こそがもっとしっかりしないといけない、

といったことに気づく瞬間がありませんか?



秋、自分の身体の境界のみならず、

読書の秋、運動の秋、自分を振り返る秋、

にしてみてはいかがでしょうか?


ただし、思い悩み過ぎない範囲、

自分に対して過酷にはならない範囲で。。。



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